若き日の「おやじさん」が本に・・・。

川越中学校で教諭をしておられた市川正男著「やっとこ代用教員」という本に若き日の松本利雄先生の姿が描かれています。萩島さん(13回)が探し出したもの。例えば、2 青年ランナー (123P~)「この村に、今春県立中学校(旧制)を卒業して村役場の書記に就職した萩島という青年がいた・・・・・・・・また分校のある部落から同じ中学に進んだ松本という同級生がいた。彼も競技部で活躍し、走り幅跳びと三段跳びが専門だった。一方松本青年の本家の息子にやはり前年、東京の中学を卒業した利雄君という青年がいた。彼の父は当時、尊重をしていた。体格は大きいほうではなかったが、中肉中背でまことに合理的な双方が目についた。馬力で走るのではなく、ピッチとそのストライドは驚くべき運びで、流れるように美しいフォームであった。・・・・・・・松本本家の利雄君は、大人からもこどもからも「トッチャン」と呼ばれ、気さくな人柄はみんなに愛されていた。100mから400mまでこなし、美しいフォームで、運動会シーズンには欠かせない花形選手であった。」 3 トッチャンとの再会(126P~) この項では川越中学に赴任した「おやじさん」とのふれあいが詳しく書かれています。「終戦の翌年、私は勤めている県立中学校(旧制)の校長室に呼ばれて1枚の写真を示された。「君なら知っているかもしれない」履歴書に貼られた写真は「トッチャン」の写真であった。・・・・・・・・・・・・それから1か月ほどたって、校長は全職員に彼を紹介した。その日をもって彼は本校教諭に発令され、体育の教師になった。私が彼を歓迎したのはもう一つ理由があった。彼がくるまで陸上競技部の顧問教師に適任者がいなかったため、素人の私がそれを担当し、選手の世話役をつとめていたのである。彼ならば本校の陸上競技を飛躍的に高めてくれるに違いないと期待し、私は部員を集めて彼を紹介した。晴ればれとした気持ちで顧問役を引きついだのであった・・・・・・案の定。翌日から彼は放課後のグランドに立った。ランニング姿で部員の先頭を走った・・・・・・・・131Pまで「トッチャン」の話が続く。    この本は朝日新聞東京本社朝日出版サービス(03-542-1436)から昭和63年に出版されたもの。25年前の出版で在阪はないと思われますが、気になるOBの皆さんはTELしてみる価値がありそうです。